谷川流『絶望系 閉じられた世界』

 『ジサツのための101の方法』かと思ったら『嬌烙の館』だった、みたいな。あと死神たんはわりと普通に萌えました。口調がちょっと『語り手の事情』のルーみたいで。根っこは逆だけど。
 実験作とは言っても野心的という意味のそれではなく、思いつくままに書いてみました、といった程度。面倒なところは陳腐なストックフレーズだのみ、という何だかWeb日記みたいな小説。
 なんつうか内容云々の以前に、デモベノベライズ(蟲忍でも可)を読んでしまった古橋秀之ファンが感じるような物足りなさが先に立つ。つまんない文章書くようになったなあ。あるいは、高橋源一郎が『失楽園』は渡辺淳一が文学に失望した結果やけになって書いた(だから文章からしてひどくなげやり)、という説を唱えていたが、似たような想像を働かせてしまうような。

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 こういう文脈で「装置」と書かれるとどうしても野阿梓を思い出す。いや野阿梓のばあいは「機能」だった気もするが、『黄昏郷』が現在手許にないので定かではない。ともあれ野阿梓に「雨天 ブルーバードの 飛ぶ」という短篇がありまして、これは作品の物語を書きつつ、自作一般の仕掛けについて作者自らが語ってしまう、といったていのまあメタフィクション的なアレです。なんでそうなったのかというと、これはハイテンションなまま一発書きしちまったので、思いつくまま書いていった結果、あるシーンを書きつつ同時に自身の小説作法に思いを馳せたりする、という意識の流れがそのまま書き留められたためと推察されます。上で「思いつくまま書いてみました、と評した」のはつまりそんな感じなんですが。

 総じていえば、「谷川流、自作を語る。あとラノベ及びそれを巡る言説状況をクサす」といった印象。作中の議論がしばしば自作及び他のラノベ、あるいはそれを巡る言説、の批評として容易に機能しうる、ということにまさか無自覚ではなかろうし。とりあえず、天使も悪魔も幽霊も死神も魔術書も「特別な権力を持った家」もラノベ及びその周辺にはありふれているのは確かだ。いやもう「舞原家のことかー!」とか「アザナエルのことかー!」とか律儀に喚きつつ読みましたよ。宮野秀策とカミナがどう違うのか。しにがみのバラッド。やカレとカノジョと召喚魔法や禁書目録やastralや天国に涙はいらない、とかそのへんを読んでればもう少し喚くネタが増えたやもしれぬ。