『水月』はやってませんが

>『水月』は良いですよねぇ。
>あれはコペンハーゲン解釈多世界解釈のちょうど中間と言って良いと思うです。
水月』は、そういう解釈自体を多世界解釈的に重ね合わせた、
メタ的な構造になっているのではないか、と考えています。
実際、コペンハーゲン解釈多世界解釈(と、言うよりは「平行世界」な解釈)だけでなく、
例えば涙石を中心に据えたファンタスティックな解釈をすることも出来ますし、
民俗学的な要素を追いかけることも出来ます。意図的に「出来るように」作ってあります。
……そのあたりの完成度は本当に素晴らしいと思うんですがねえ。世間では今ひとつ理解されないみたいです。残念。

 とりあえず笠井潔『機械じかけの夢』のゼラズニイ論、あと小谷野敦八犬伝綺想』で「被解釈性そのもの」みたいなフレーズを拾ってきたので(ここまででわかる人にはわかると思う)、そのうち電波っぽいものを書くことにします。宿題。いや僕が『水月』やるのいつになるかわかんないしそれまでに過去ログ流れちゃいそうだしとりあえずメモ。