杉井光『さくらファミリア!』3巻

 神様でさえ理性には束縛される、とブラウン神父はいった。より正確には、地上においてただ教会のみが、神そのひとでさえ理性に束縛されるのだと主張しうる、と(ブラウン神父の童心)。君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね? 教会に決まってるじゃん。さて理性とはロゴスでありことばである。はじめにことばありき、のアレね。神が何者であろうと言には力と権威が宿る。でなければ「聖痕」の発動はありえない、というのはさておき。
 神より金が強いとは言わない。だが、父なる神でさえ契約には束縛される。
  
 そんなわけでこいつは正しくキリスト教的コメディである。しかも家族である。つまりホームコメディ。したがって登場人物(天使も悪魔も父なる神そのひとも)が親しみやすく欠点を備えたダメ人間揃いである、というのはまったく当然なのである。

 べつのいいかたをしよう。二千年前の約束も、天と地をつなぐ契約の力も、愛も、贖いの子羊も、すべて有効であるならば、いったいこれを「キリスト教的」という以外にどう形容すればいいのか、わたしにはわからない。アホ神父だろうと父なる神の権威は絶対である。御子さまは誰もが敬う。つまるところ、ベネディクト16世をシスの暗黒卿よばわりしている輩だって、教会の権威を真っ向から否定しているわけではあるまい、といった。
 主よ、どこへ行きたもう? 愛する人を救うため、ふたたび十字架にかけられるためにローマへ、ってね。この作品が愛の神の御心にかなわぬはずはなかろう。

 それはそうと、注解があったのでリンク。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://atslave.at.webry.info/200812/article_1.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://atslave.at.webry.info/200812/article_2.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://atslave.at.webry.info/200903/article_4.html