『D.C.S.S.』#7

 アイシアさんが弱まった心に効きます。否、効きすぎる。陰々滅々とした気分で家に帰る気力もなく野原に寝そべってると、「こら」とか叱ってくれたり、無言で手を差し伸べてくれたりすんの。居候のくせにさ。最高。
 アイシアさんに求婚したいです。断られてもいいから。むしろ俺なんかには勿体無いのでこっちから断る。ネリネが稟様に求愛するよりも己の精神修養を優先する理由が僕にはたいへんによくわかるのである。とまれ、以下のやりとりはあまりに効く。

「いつまでいるつもりですか? もう夜ですよ?」
「先帰れ、って言ってるだろ」
「できません」
「……」
「できないんです。だって、おばあちゃんが言ってたから。魔法使いは、困っている人を見捨てちゃいけない、って。純一、いま困っています。だから、帰れません」

「いったい何を作るつもりなんだ?」
「さあ」
「さあ、って」
「気分が滅入っているときは、とにかく食べるんです。そうすれば、元気になりますから」

 アイシアのそれは(朝倉純一への個人的な)好意ではなく、(一般的な・無差別的な相手に向けられる)善意である。つまり愛ではなく親切である。愛は負けても親切は勝つ、と昔の人は申しました。所でわたしはどっかの詩人とは違って、友情よりは定言命法が人と人とのつながりを担保すると考えるの。具体的にはフーゴナランチャに対する「こいつにスパゲッティを食わしてやりたいんですがかまいませんね!!」(『ジョジョの奇妙な冒険』51巻)である。誰かが特別になるためには特別でない状態で起動する何かが必要なので、それが例えば「飼い馴らす」(『星の王子さま』)ための前提条件となるのである。