http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20051121#1132601759
 関連してメモというか連想というか。
 個人的にはモノーキーの、

 女の子がおしぼりでわきの下を拭くなんてされたら、感動する準備もできやしないじゃないですか。(http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/52d183a6508439937a8908431c531087

 というのも、エロゲに絡めた好評価に入れたいところ。いや実際にエロゲに言及されるのはhttp://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/d61371f816a14efc96c4f5a3e5d68890を待たねばなりませんが。
 むろん「感動する準備もできやしないじゃないですか」というのは多分にレトリカルな言辞で、夏葉薫さんの書評にもあるように実際はこの種の「絵にならなさ」こそがエロゲ的な感動を準備するのだと言っているのだ、と解して大過ないかと思いますが。だいたいあの時計が胸に埋まってるのだって、直截すぎてもう笑うしかない。
 エロゲにはそういう風に発展してきたところがあって、『ONE』ならそれは「葬式用のロウソクによるクリスマスパーティ」や「クリスマスにラーメン屋」や「キムチ臭いキス」や「煤けたドレス」であり、『みずいろ』なら日和シナリオの、「まったく丈に合わない服」や「ストローでつくったエンゲージリング」であり、『Kanon』なら舞のうさみみやら納豆を頭からかぶってしまうことだったりする。
 まあ、エロゲ・ギャルゲに絡めて話をするには、こういう「絵にならなさ」の系譜も誰かが言っておかなくては淋しい気がするので僕が言っておきます、というだけの話なんですが。