『AIR』TV版 #7

 「あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが/黒いフロックコートを召して/こんなにも本気にいろいろ手あてもしていたゞけば/これで死んでもまづは文句もありません」(宮澤賢治「眼にて云ふ」)

 往人さんはかっこいいし、優しいし、今にも泣きそうだし、あんまり色々してくれるから、観鈴ちんとしてはこのまま死んでも充分に幸せな気がしたのでした。小野大輔はいい意味でやりすぎ。

 原作の往人には、母親の記憶から観鈴に至るについちゃあそれなりにややこしい理路があるのだけれど、そのへんはばっさり。別にアニメで見たいとは思わないが。TV版だと単なる好意で結びついているように見える、というあたりは好きです。ラブラブやのう。

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 SUMMER篇の唐突さが足りない。前フリが親切すぎる(観鈴の夢語りや往人が背中の痛みを覚えるシーンで早々と絵を見せてしまう)。自制が足りない、といってよろしいと思う。
 SUMMER篇はひとつの自立した「過去」として語られねばならぬので、現在を説明するための「回想」や「前世」の類として召喚されるのではない。もしDREAM篇との脈絡や因果があるとしたら、それは作品の側であるよりはプレイヤー/観客の内部でなければいけないのである。私見ではAIRの各篇の並べ方は例えば『ブギーポップは笑わない』に近い気がする。
 往人さんがいっしょうけんめい考えた観鈴のための人形芸が、よりにもよって「お手玉」なのがちょっと悲しい。つまり往人が往人であり観鈴観鈴であるよりは、SUMMER篇とのつながりを見せたいわけですか。小賢しい真似を。