谷川流『涼宮ハルヒの動揺』

 そろそろ童心とか秘密とか知恵とか不信とか醜聞とか言いたくなるね。つまり、探偵モノのシリーズが続くのと同程度には続くのが当り前で、もはや終わることの方が特別であり事件である。いつ世界が終わってもおかしくないあの状況下で、これはいっそ奇跡的なことではないか?

 オビの文句は「つまらない日常にアッカンベー!」(で表紙はあっかんべーしてるハルヒ)だが、「つまらない日常」の対極にあるのはたぶん「幸せな日常」であって、「面白い非日常」ではもはやない。闘争はむしろ、SOS団の日常、を脅かす敵に対してこそなされねばならぬ。

 それにしても長門かわいいよ長門。彼女(たち)の内面の情報はあくまでキョンの推測、を通してさらにわれわれがさらに推測するよりなく、従ってわれわれは自分自身として彼女たちを思いやるよりない。「ここから私たちが知るのは、映画が観客への情報提供を自制すると、その分だけ観客は映画に深くコミットせざるを得ないという事実である」、「適当な断片を与えられれば、私たちは必ずそれを素材にして、自分が聞きたい話を作り出す」(11月16日)。もはや好きなように想像して悶えるよりないのだ。たとい解が一義的に定まるようにお膳立てされていても、解くのは我らの手である。高校数学だって例題を読むだけでは身に付かない。長門かわいいよ長門。成仏を決意した浮遊霊のように闇に消えそうな彼女に、いったい声をかけずに済ませることができるだろうか?

 ごめん。もう少し正確な言い方を心がければ、キョンは随分と勝手に女の子の内面を代弁してくれるのだけれど、本当のところ彼女がどう考えてるかは判らなくて,ともかく見ているこちらとしてはあんぱんを食す姿を勝手に可愛く思ってしまう、といったことではないかと思います。

 自分には語ることのできない言葉があってそれを抱えている、ということに相手が気付く、ということはありうるし、相手がそれに気付いたと気付くこともできる。そういうコミュニケーション(って言葉は便利すぎる気が最近しますが)を描いた「朝比奈みくるの憂鬱」がけっこうツボ。あとは、「ライブアライブ」でハルヒの見せる珍しい顔にどきどきしたり、ダラダラ感が素敵な「朝比奈ミクルの冒険 Epispde00」に笑ったり、どうにもやるせない「ヒトメボレLOVER」に泣いたり、とわりと普通に幸せな一冊。不満があるとすれば、ハルヒの口とんがらせてる顔(アヒル口とかペリカン口とか)や見事なへの字口や無闇と輝く瞳ややはり無闇と光り輝く笑顔やらがちょっと見足りないかなとかそのくらい。

 あとは、ハルヒが何かと長門さんを気遣ってるのが幸せだったり寂しかったり。SOS団なんかほっぽってあっちの世界に行こうとしていたころが一番輝いていた気がします。