http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20050212#p1

 私はそんな突拍子のないことは書けません。やまうちさんならともかく……と思ったけれど見つからない。

 ついでに思いついたことを記しておくと、最近私は『あの夏、いちばん静かな海』と『菊次郎の夏』を観たのだけれど、キタノの背景への意識が実にエロゲ(というかノベルゲーム)と親和性が高い気がした。同じ背景を使いまわすし。ほとんど使いまわしじみてるし、でなくとも、ただキャラクター(登場人物)を撮る背景として、が第一義であるとか。部屋のどこかに埋もれているビートたけし『仁義なき映画論』の大林宣彦「ふたり」の章、のあたりにそういう話があったはずだ。現在ちょっと発掘できないが。

 ゲーム版『AIR』ではほとんど画面に登場しない海は、きっとキタノの海に似ている気がする。間違っても汽笛鳴らしながら船が通り過ぎたりしない。そしてあの夏の町はいわゆる「なんにもない田舎」なので、間違っても尾道みたいな、それ自体としての、これ見よがしの情緒はない気がするし、でなくとも「夏休みなのだけど、寂しいイメージ」だ。

 北野武の背景は、地域性を剥ぎ取られた、ほとんど抽象的なものだ。あえて言えば「貧しい」背景だ。そして、ギャルゲーの背景はもとよりそういうもので、『AIR』にしろ、設定上はおそらく瀬戸内海沿いと推定されるのだけれど、たとえば東北でも山陰でもいい気がする。その気になれば、海沿いでさえなくとも、ああいう町はある、と思える。大林宣彦のふうの「土地の霊力」とはおそらく対極にある。
 僕はたとえば、固有名を挙げますが、木次線加茂中駅の周辺(どちらかといえば山の中)でさえ、あの夏の町を幻視することができるけれど、そこは「堤防」の向こうはただの車道なのである。まあ、けっこう魚屋は多いんだけど。