涼元悠一は、『AIR』のラストについて質問してくるひとに、リチャード・バック『イリュージョン』をもって答に替えたというけれど、僕としては、内田樹「邪悪なものが存在する」(『期間限定の思想』)でもいいんじゃないか、という気がするがどうか。

 《私たちはたいていの場合、原因と結果を取り違える。

 異界からの理解不能のメッセージは、「僕」の住む人間たちの世界に起きている不条理な事件を説明する「鍵」であるに違いない。私はそう思い込んで、物語を読んでいた。

 どうして、そんな風に信じ込んでしまったのだろう。どうして、意味の分からないメッセージには「意味がない」という可能性を吟味しようとしなかったんだろう。》(内田樹「邪悪なものが存在する」、『期間限定の思想』)

 もっとも麻枝准のばあい「邪悪な(無意味な)もの」、というより、われわれが決して理解できないほど大きなもの、への志向がありそうな気はするが。鳥の頭に人間の記憶が大きすぎる(つまりこれが、「メッセージの読み方を指定するメタ・メッセージ」)に似て。
 村上春樹論を麻枝准に援用するのは、ちょっとストレートに過ぎるのだけれど。