桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet』

 法月綸太郎『密閉教室』、の島田荘司による解説(調べてみたら解説じゃなくてノベルス版巻末の「薦」でした)、みたいな話。チャンドラー・マニアの主人公のセリフは日本の高校という場所ではひたすら空回りするよりなく、とか、刃が立たぬ巨大な筋肉に切り込む脆弱なナイフ、とかいうあれ。で『砂糖菓子〜』だが、どうも意味付けが先行しがちで、海野藻屑に対して距離を取りすぎだろと思う。正確にはこれは山田兄妹の話にすぎなくて、海野藻屑はダシだか肥やしだかにされている。随分とキャラに失礼なことをするものだと思う。まあ、この言い方が的外れなら僕の方が作品に対して失礼なんだけど。

 砂糖菓子の弾丸もそれを撃たざるを得ないのも、どうしようもなく間抜けで無惨なことなんだけど、作品の側があまり、その無惨さに付き合っていない。まあ俺はおとなしく『密閉教室』か佐藤友哉でも読んでろって話。

 で『推定少女』が『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』だとすると、こっちは『NHKにようこそ!』か。ただ、この作家がやるとどうにも「通過した」感じになって、大人は判ってくれない、といいたくなる。きれいにまとめすぎなだけかもしれない。

 エピソードが「過去」ではなく「回想」になってしまう。冒頭はともかく、兄ちゃんと蜷山登ってるシーンが先にあると、出来事やアレゴリーが一義的に意味に結びつけられて(「片付いて」)しまう。読者にできることといえば、それに生理的ないし感情的な反応を返すことぐらいだ。たぶん保坂和志はこういうの小説って呼ばない(『書きあぐねている人のための小説入門』)。まあ、「海野藻屑を海野藻屑として書く」こともなければ「回想はなるべく使わない」わけでもないので。

 まあ文体も個々のシーンも魅力的だしリーダビリティも高いし、構成もそれなりに凝ってる面はあるから、そんなに悪口を言うほどでもないんだけどさ。まあ、年寄りがノスタルジーに浸りたい分にゃいいんじゃねーの。あと、なんか秋山瑞人の悪口を言う人のキモチがわかった気がした。まあ『猫の地球儀』が僧正の演説ないし焔の述懐で終わってしまったような所はある気がするね。違うんだなぎさ、そうじゃないんだ、と言いたくてたまらない。

 ぶっちゃけ戦場のロリポッパーの方が好き。