『D.C.』#23〜最終話

 #23。ことりの話が大袈裟にならないのがいい。原作の持ち味をちゃんと理解している気がする。

 #24。なぜ美春がラス前なのかというと、「記憶」がモチーフになっているからです。美春がやりたいことや、やっていることを素直に追っていくつくりで、とりたてて意味付けや真偽の査定がなされないのが好ましい。

 それで結局、音夢と純一の恋愛、ではなくて、さくらの失恋モノなのである。恋というか、6年分だか12年分だかの、随分とかさばった思いのための、喪の作業。

 武者小路実篤『お目出たき人』に、消そうにも消せぬ希望を、いくら潰しても生えてくるヒドラの頭に喩えるくだりがあってさ。枯らしたはずの桜がまた咲き誇っているシーンで何となく思い出したので書いておく。一般に絶望から逃れるのが困難である程度には希望から解放されることもありえない。『お目出たき人』ってのはつまり片想いと失恋の話で、あれは希望を潰しそこねたまま終わってしまうのがなんともやるせないんだけど。

 あとはやっぱり、是非ボインボインになって帰ってきて純一君に目にもの見せてやってほしい、とか。

 アニメ版の扱いはたぶん、さくら、音夢、頼子さん、美春、ことり、眞子、萌先輩、ぐらいの順。ことりと萌先輩が原作ではメインヒロイン四人衆だったのが信じられない。いや、頼子さんと美春のウェイトが増すのは個人的には大歓迎なんですが。あと萌先輩の話はアニメではやらなかったけれど、その方がいい。原作でも、やたらと鍋に詳しかったりする部分の方が妙にありそうな感じがしたし、ストーリーが動き出してからは、ちょっとライターの手が見えすぎたから。