『D.C.』#19〜#22

 色々な意味でターニングポイント。ハーレムアニメからフラレナオン祭りへ、とか。ギャルゲーのアニメ化はわりと必然的に、女の子の失恋モノになります。わりと。個人的にはアニメ版『To Heart』の志保が白眉かと思いますがそれはともかく。

 そして魔法の時間も終わりを告げはじめる。例えば、家に帰れば当り前の日常として、ネコ耳を生やしたメイドが出迎えてくれる、というのがアニメ版D.C.の世界だったのだけれど、そんな日々ももうおしまい。そして中学生活もじきに終わる。

 そんなわけで#22は頼子さんとのお別れでした。アニメ版の頼子さんの描かれ方はとても気に入っています。原作よりずっと幸せで。例えば、原作にはたぶんなかった描写だけど、うたまる相手にフギャーっと猫そのものの反応をしてしまったりとか、その後もいちいち苦手そうにしてたりとか、そのへんも叮嚀。サイドエピソード(Cパート)のどれだったか、いかにも猫っぽく塀に駆け上がってしまうのも好き。

 何より、頼子さんが嘘になってしまわないのが有難い。そしてさくらが頼子さんのことを何もかも承知していて、純一が一人で抱え込まないで済むのも。美春のことだってとうに音夢にバレている。こういうことを語り合える相手がいるわけです。

 #21、さくらを傷つけた相手が災難に遭う、というエピソードがどうしても必要なところですが、まさかそう来るとは。ええと、救急車が出て来るあたりのシーンね。音楽に騙されてる気もするがまあよい。

 #21についてもうひとつ。アニメ版のさくらからは過剰に不自然な言葉遣いが取り払われていて、時代劇とかそのへんについてもほとんど触れられなくて、「負けは負けって、潔く諦めるのがサムライ魂ってもんさ」というのが出て来るのは純一との会話ではなくさくらのモノローグである。一方で、#20みたく本心をそのままぶつけるのが実際の発語になっている。これはアニメとノベルゲーム、という媒体の違いよりは、純一はさくらに対して何も請け負っていないせいでコミュニケーションのスタイルが変わっているように思えるわけで、どうもさくらがひとりぼっちに見えてせつない。あと音夢が本気でずるい気がしてきた。