カラマーゾフの兄弟

 『カラマゾフの兄弟』(池田健太郎訳、中央公論社世界の名著)読了。途中までイワン萌えだったけどミーチャに鞍替え。
 それはそうと、兄ふたりがアリョーシャのところへまるで恋の告白でもするかのように(そういうセリフが両方とも出てくる)語り合いに来るのがなんだかいい。これは登場人物が男女問わず順番に、二人きりになるとアリョーシャに対して告白する話である、といってもいい。ドストエフスキーは他の作品でもよくそういうことをやるのだが。イワンはほとんど式子みたいで、自作のポエムを聞かせてくれる。あの「大審問官」は有名だけど、それは、「馬鹿げたものだが、僕はおまえに聞いてもらいたいのさ」と切り出されるのである。こうした点に着目しているのは僕の知る限りでは小林秀雄くらいだ(「カラマアゾフの兄弟」、新潮文庫ドストエフスキイの生活』所収)。

 あるいはまた、ミーチャにとっては切実でリアルな真実の体験が、それを他人に話せば笑われるだけなんだ。ある種のギャルゲーのヒロインが語るトラウマ的な過去みたいなもので、それは因果だの必然性だのといったストーリーとして語ろうにも語れない。つまりお話にならない。真実とはそういうものだと思うから弁護士は信じるのだけれど、それよりもやっぱり、大好きな兄の言うことだから信じるというアリョーシャの方が僕にはよくわかる。というかわかりたい。あの「大審問官」だって、イワンへの好意を抜きに読むべきでないのである。剽窃もなにも、キスしてくれって言ってるようなもんじゃないか。
 「おいおい、アリョーシャ、これはほんの寝言じゃないか。今までまるで詩なんか書いたことのない、わけのわからん学生のわけのわからん詩劇にすぎないよ。なんだっておまえはそうまじめにとるんだい?」兄さんも難儀な人だなあ。いっぽうでミーチャは、真面目に話せば真面目に受け取られると信じているのだが、現実にはけしてそうならない。