水淵季里のつぶやきから飛んで東京SF大全18 『水路の夢[ウォーターウェイ]』
 
 僕はこの本が大変に好きで、「八月の残りの日」というのも『水路の夢』の章題から拝借しました。あとメアドにfoggaraってつけてるのも関係なくもない。

 電子書店パピレスで手に入れることができます。
 http://www.papy.co.jp/act/books/1-2565/

都築真紀・長谷川光司『魔法少女リリカルなのはMOVIE 1st THE COMICS』 Sequence:1-2「Distance」(メガミマガジン4月号)

 風になびく/金の髪
 細い腕
 不釣り合いな/はずなのに/不思議とよく似合う/黒い斧槍
 
 目が会った時に思ったんです
 ああ/綺麗な子だなって

 これだよこれ。
 
 綺麗な子だと思った。寂しそうな目をしていたので気になった。
 あるいは同じことだが、好意が兆しているからこそ綺麗な子だと思えるし、気になるからこそ寂しそうに見える。因果など理由など知ったことじゃない。
 きっとなのはだって自分の気持ちがわかっていないから、何故、と問うことに意味はない。
 
 そして高町なのはといえど、心が折れることもあれば、フェイトちゃんに会いたいけれど会わないほうがいいと思う、と考えすぎる面もあるわけで。だから大人たちがお膳立てしてやる必要がある。『A's』とは何という違いだろう。ちなみに今木は『A's』のなのはさんは、第一期の思春期じみた悩みっぷりから、年相応の状態へと退行というか復帰した、と見ます。年齢に似合わぬ複雑な顔、をしなくなった。かわりにフェイトちゃんが色々と戸惑う役を務めることになる。

 誰かがどこかで誉めていたのだけれど、たとえば『なのは』第一期#9の前半とか特に、なのはさんが、身の丈に比していささか大きすぎるあの杖を持て余し気味に見える点は特筆されてよい。この頃の彼女はまだ、砲撃にも、というか自分が戦うこと事態に、違和感を持っている頃だ。「戦うことしか、ないんでしょうか」「ぶつかり合うのは仕方ないのかもしれない、だけど……」。あるいは決意はあっても身体が追い付いていない。
 けれどもあの劇場版のせいで、なのはさんは当初より好戦的な、生れついての砲撃魔導師である、ということになってしまいそうで、僕はそれがたまらなく嫌なのだ。

 なのは1st三回目。フェイトの印象が随分と柔らかい。私服とか表情とか。もうちょっとこう、何を考えてるかよくわからない、けど何かに耐えているような、硬い顔をしていた気がするのだけれど。
 ファランクス撃ってるときの苦しそうな表情がカットされたのは悲しい。まるで、なのはを傷つけることが耐えられないみたいで好きだったのに。

 UBW二回目。ごめん戦ってないシーンのが愉しかったわ。俺どうかしてた。
 動画的な快楽としては、朝食〜登校(×2)とか、坂道でやたら遠くの凛と会話するあたりとかそのへん。キャラが普通に立ったり座ったり歩いたりするだけで、おお劇場版だ、という気になります。あと洋服越しの背中の筋肉の動きとか。とりあえず、桜がエプロンで手を拭いてるあたりでもう「おおっ」ってなります。
 凛がやたら遠間でひたすら喋ってたりするのもまた。
 
 あと、慎二があまりに輝いていたのでどうしようかと思った。

 なのは1st二回目。倉庫街の決闘、みたいなシーンは好き。
 プレシアはリニスと結婚しとけばいいのに。
 SLBに至る段取りの変更。A'sで「防禦の上からでも落とされる」と言ってるのと整合させたのかしら。