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 このおっさん、結局功利主義しかないじゃないか自由主義バンザイなんだけど、功利主義(最大多数の最大幸福みたいなやつね)がいかがわしいのは、効用(幸福)が計算できないからじゃなくて、逆にいかようにも計算できるからじゃないか。『経済倫理学』(中公新書)の痴呆経済学者もそうでさ、どんな前提もないと言い張って、理性の法廷より言論の市場原理だとかいってさ、いきなり「計算」はじめる訳だけど、その値札つけがもう思いっきり都合いい。価値の恣意性を「価値中立」にすり替えて、おもいっきり「都合のいい前提」から「都合のいい答え」出してるだけだ。
 世の中の「問題」、これはいつだって誰かの都合によって選定(あるいはねつ造)されたものだけど、その都合にそった「価値判断」を提供するのが、こいつらのいう「倫理学」でさ、そりゃどっかからお金がっぽりもらえるけど、その時の言い草が「計算したら、いろいろ問題はあるけど、とにかくこれが一番ましなんだから(世の中今のところそうなってるんだから)、これがベターなんだ(ベストなんてないんだ)、だから逆らうな」、短くまとめると「世の中こうなってるんだから、こう生きろ」ってなものだもの。こんなの倫理でもなんでもないじゃない。こんなのにはちゃんと、昔から短い名前があってさ、「支配者のイデオロギー」とかいうんだよ(笑)。