『SHUFFLE!』

 プリムラ・ポリアンサ花言葉だそうです。
http://www99.sakura.ne.jp/~ayulon/words/words-hu.html

 むしろ、無言の愛、というフレーズにナックアウト気味。

 ネリネ/フォーベシイ(魔王さま)/リコリス彼岸花つながりなのね。どうりで死者が主題化されているわけだ……なのか?

 呼称表を眺めてしばらく幸せに浸る。
http://web.archive.org/web/20080616131131/http://shuffle-info.x0.com/name_index.html
 かれらは愛称で呼び合うことが好きだ。それは親しい仲間内で共有される。一方で、かれらはまたしばしば、他の誰もしないような勝手な呼び名を専有している。てか「ネリっ子」て。
 『SHUFFLE!』について語るならまずはそのへんから、だと思う。さてここにすでに書きあがったテキストがありますので。

 耳で聞くと主人公の名である「稟」とネリネの愛称たる「リン」は区別できない。ついでにいえばプリムラの愛称は「リム」なのであってますますまぎらわしい。だがそれがいい。正確には稟は「稟さま」とか「稟くん」と呼ばれるばかりだし、ネリネは「リンちゃん」である。プリムラは「リムちゃん」なのであるが、リンちゃんと呼ぶ筆頭であるシアはあんまりプリムラと接点がない。従って我々は、名ではなくそこにつく「くん」とか「ちゃん」とか、あるいは誰の声でそう呼ばれるのかによって誰を指していっているのかを知ることになる。
 ついでにいえば同年代の連中のあいだじゃシアだけが楓のことを「カエちゃん」と呼び、亜麻さんだけが稟くんを「りっちゃん」と呼ぶ。かれらはポーランド人のように愛称で呼び合うことを好むが、それは同時に、かれらが誰かに対する自分だけの呼び方をしばしば専有していることでもある。一方では仲間うちでの呼び名を同程度に共有してもいる。幸福とはたぶんそんなところに転がっている。りっちゃん、と呼ばれるとああ亜麻さんがそこにいるなと思うし、リムちゃんはみんなのリムちゃんなのでよってたかって可愛がっちゃいます。#6とか。
 つまり常に特定の誰かから誰かへの呼びかけであることが一方にあり、他方では共有できる呼び名が、あるいは呼び名における共通性において誰かとのつながりを確保する、というありかたがある。後者が極限において現れるのはリコリスネリネ「リン」と呼ぶことを決定しあるいはネリネがそれを自己の愛称として引き受けることであるのだが、そんな七面倒くさい話より僕はこれを稟とネリネが別々に暮らしていたリアリティとして受け取ることを好む。転校生とあだ名が被っちゃって、というのはよくある話じゃん?
 愛称が過剰に溢れる幸せ空間は要するにかれら個々の個人的事情の刻印と共同性をともに損わないので、何も犠牲にしない幸福とはそういうものです。

 家族。いかなる役割(妹とか)をも指示せず、ただ「プリムラは俺の家族だ」とだけ稟君は言う。家族たる要件とは同じ家で起居し時に雑事を分かち合うことぐらいで、何者かであることを要しない。つまりフルバの透くんはキョン吉やゆんゆんには家族だろうが、じゃあ姉か妹か同い年のきょうだいか、と決めるのは難しいのである。もちろん決めてしまってもいい、音夢を妹に決めたみたいに。あと明治まで遡れば、たとえば尾崎翠第七官界彷徨』の「家族」の用法は、同じ家屋で暮らすメンバー、という以上のものではないし、それを読んでもとりあえず僕は奇異には感じない。