http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20061227#p2
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 「その本で書かれているような自然観が形而上学的思考様式と対立できるほどに自由を得る」とか「物質的自然観に対する形而上学的思考」あたりが何のことかわからない。高橋氏はもしや、「物質」であるからには「形而上」と対立的ないし対比的でなければならない、という先入見に支配されて、根本的な勘違いをしているのではないか。もしそうであるなら、単語レベルの反応と言わざるをえない。
 あと、「神学」とか「哲学の全貌」とかもなんで言い出してるのかわかんない。要は『反哲学史』を読まずに文句付けてるんだろうと思う。
 
 まあ、そういうのを抜きにしても、氏は以下の部分を誤読しているように思う。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/reading/2000-07a.html#kida00

 プラトン以降の「哲学」は,「制作的存在論」である。これは,自然を単なる材料・質料として対象化する。自然はそれ自体では悪しき非存在なので,それを超自然的原理によって形成し,構造化することによってはじめて存在者になりうる(p.114)。この超自然的原理は,その時々の思想によって,イデア/純粋形相/神/理性/絶対的精神と,呼び名が変わる。しかし,このような形而上学的思考様式」と「物質的自然観」が,「哲学」の基本パターンなのである。

・問1:下線部「このような」が指す範囲を答えよ。
・問2:下線部「このような」がかかる範囲を答えよ。
・問3:「物質的自然観」とはどのような自然観なのか説明せよ。
 僕の答はこれ。
・答1:それまでの内容全体を漠然と。
・答2:『「形而上学的思考様式」と「物質的自然観」』。
・答3:自然を単なる材料・質料として対象化し、自然はそれ自体では悪しき非存在なので,それを超自然的原理によって形成し,構造化することによってはじめて存在者になりうる、とする自然観。

 高橋氏の答はたぶんこんな感じと推定される。
・答1:イデア/純粋形相/神/理性/絶対的精神。
・答2:「形而上学的思考様式」。
・答3:超自然的原理を必要としない、非形而上学的な自然観