荒山徹「柳生大戦争 第一部 剣神降臨ノ巻」(『KENZAN!』第一号)

 たとえば荒山徹は『魔岩伝説』で次のように書いている。

「天帝の孫、檀君さまが今から四千年以上も前に朝鮮という国を(ひら)きました──笑わせるわ、朝鮮の始祖が檀君だなんて。檀君神話はね、一然(イルリョン)っていうお坊さんが書いた『三国遺事』に初めて出てくるの。それが書かれたのは、たかだか五百年前のことよ」
「五百年前?」
 日本でいえば鎌倉幕府の時代である。
「そうよ、とっても新しいものなの。それ以前にそんな神話が朝鮮に伝承していたっていう証拠は何もないの。ええ、何一つないのよ。兄はいってるわ、おそらく檀君神話は一然の創作だろうって」
「創作? 坊主が建国神話を造り出したっていうのか?」
「一然が『三国遺事』を書いたのは、高麗がモンゴルに侵略されて苦しんでいる時だったの。だから、自分の国が一つにまとまってモンゴルに対抗できるようにって、その旗印として始祖神をでっちあげたんだわ」

荒山徹『魔岩伝説』第四章)

 だから、今回の仕儀はすでに約束されていたとはいえる、のだが。
 荒山徹が本気だ。
 実を言えば、そろそろネタ切れなんじゃないかと思っていた。『処刑御使』『柳生雨月抄』あたりは元ネタもメジャーかまたは近年の新ネタに依存していて、しかも史料・資料のファック具合も浅い。もちろん大変に楽しく読ませていただいたわけだが、それでも、「今更日本書紀かよ」「イザベラ・バードを引用する『だけ』なんて!」といった不満がなかったといえば嘘になる。『高麗秘帖』『魔風海峡』『魔岩伝説』で見られた、誰も知らないような資料をわけのわからん深読みをして「おまえはいったい何を言っているんだ」という結論を導き出すあの魔技が恋しかった。
 そんなわけで今回は大満足である。もちろん、例の書翰部分のことだ。あれだね、隆慶一郎吉原御免状』の吉原新解釈に匹敵するねきっと。あるいはいっそ、マチウ書試論にさえ。荒山徹の晦然は吉本隆明のマタイに似てはいまいか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nouveau/column8.html

 資料の改ざんと附加とに、これほどたくさんの、かくれた天才と、宗教的な情熱とを、かけてきたキリスト教の歴史を考えると、それだけ大へん暗い感じがする。マチウ書が、人類最大のひょうせつ書であって、ここで、うたれている原始キリスト教の芝居が、どんなに大きなものであるかについて、ことさらに述べる任ではないが、マチウ書の、じつに暗い印象だけは、語るまいとしても語らざるを得ないだろう。ひとつの暗い影がとおり、その影はひとりの実在の人物が地上をとおり過ぎる影ではない。ひとつの思想の意味が、ぼくたちの心情を、とおり過ぎる影である。

 そう、それは檀君という、あるいは晦然/一然という人物が、地上をとおり過ぎる影ではない。だがこれ以上は語るまい。とりあえず「神話の捏造」というネタ一本でもおつりが来る出来ではあると個人的には思う。それが、ひとつの思想の強烈な実現である、という点において。

 それはそうと、例の国民的怪談凌辱事件について。小泉八雲『怪談』の再話の特徴は、猟奇性というか流血の強調と、それによるエロティックな效果である、とはよく評されるところであるが(じっさい読んでみると、小泉八雲は明らかに美的意識をもって「血」を描写しているとしか思えない)、だからこれを荒山徹ひとりの責に帰するのは必ずしも正しくない(たとえばttp://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40610&pg=20010820を参照)のだけれど、それにしてもなんというかこう。相合傘の図っていつごろから日本に存在するのか、ということがちょっと気になりました。確かに男根のあれも傘だけどさ。
 どちらかといえば、ファックの内実よりもむしろ,ほとんど行きがけの駄賃のように冒涜してフォローなし、という点に戦慄しました。まるで花をつむように。もしかしたら、檀君神話ばかりレイプするのも不公平なので、日本の代表的な怪談にも手を出しておくか、といったバランス感覚のなせるわざかもしれませんが、それはそれで未確認原爆投下指令なみに無茶な話だと思いましたとさ。
 それはそうと「大戦争」である。もう妖怪とか宇宙とか怪獣とか惑星とか、そんな特撮テイストに溢れすぎているタイトルである。そのうち柳生からのメッセージとか柳生総進撃とか言い出したりしないよね?