司馬遼太郎『果心居士の幻術』(新潮文庫)

 短篇集。とりあえず「朱盗」がえらく面白かった。めがっさ面白かった。信じられないくらい面白かった。三度も書いてしまった。
 さて、司馬遼太郎といえば司馬史観であり国民作家であるわけですが、一方では初期忍法小説もあり、ことに「忍者には上忍・中忍・下忍という組織がある」という大嘘を発明したことで有名です。あと水蜘蛛をあたかも実在の忍法であるかのように書いたこともあります。わりと後になっても、いきなり「紀州山中にはユダヤ人の末裔の王国があった」なんて話をやりはじめるので油断はできません。
 とにかく、かの国民作家は伝奇作家としても一流であり、それこそ彼の本領と評する専門家も多い。どんな専門家ですか。
 そんなわけで本短篇集はなんかそういうあれでした。並ぶネタはといえば、果心居士に飛び加藤、神代の巫女争奪戦に新撰組黒歴史藤原広嗣の叛乱の陰には謎の朝鮮人が! あと性魔術とか。と今更喜んでいる俺が一体何周遅れなのかは知りませんが。
・「果心居士の幻術」
 ふつうに果心居士の伝説をまとめた感じ。小泉八雲「果心居士のはなし」と読み比べると面白かった。これはむしろおそらく、八雲が自分好みの資料にのみ依拠しているせいで、他人の権力欲に寄生して生き長らえているような司馬遼太郎バージョンとは異なり、八雲の果心居士はあくまで芸術を愛する自由人である。最後は絵の中に消えてしまうほどに。あと酒飲んで寝てばかりいる。というかこれ八雲の感想だね、
・「飛び加藤」
 これも幻術幻術また幻術。なにが「ここまで来れば話は荒唐無稽になる」だ。
・「壬生狂言の夜」
 新撰組が卑劣というか邪悪。しかもやり方がセコい。なんでそこまで。
・「八咫烏
 海族と出雲族(朝鮮系)の混血のカラスくんが差別されます。でもそのおかげで巫女さんとちょっといい感じ。で「作者の興味はつきた」で終わらせる。何様よ。
・「朱盗」
 藤原広嗣の叛乱を描いた作品。幻術の手妻や超自然現象一切抜きで、ただ謎めいた百済人の思い出話と大宰府の現実を重ね合わせるだけで、異様に幻想的な雰囲気を現出させる。あと、広嗣と現地妻(ちょっと違うけど)が言葉が通じなくて、それで彼女の台詞をぜんぶ「け」とか「け?」で済ませてるのが天才の業。
 謎の百済人のキャラがとにかく立ってました。
・「牛黄加持」
 《いうまでもなく仏法では女犯は破戒の最大のものである。僧たちは稚児をもてあそんだ。が、稚児に伽をさせるのは高位の僧にかぎられていた。末席の僧たちは自慰でみずからの煩悩を消すほかなかった。みずからの手でその肉体をけがすことには仏法は寛大であり、釈尊祇園精舎のころからすでにその法があるとされていた。》あとはご想像ください。これが保元の乱に結びつくのである。いやもう。
 
 司馬遼太郎について発言すると色々とややこしいので多くは語らないことにしますが、あのいつもの司馬遼太郎の文体でものすごいことが平然と書かれるので、えらく奇妙な感じがして面白かったです。喩えるなら『コンデ・コマ』で嘉納治五郎が血の味に酔い痴れる様を見た時のような。