早見裕司『メイド刑事(デカ)』
ああ、馬鹿だ。
いい感じでB級というか時代劇。『スケバン刑事』へのオマージュ、と称されていますが、むしろ時代劇かいっそ『快傑ズバット』あたりのノリで。「メイドの一里塚」のムチャ具合とか特撮じゃないとありえねえし。あと「あまつさえ」って言います。早見裕司の特撮愛については『少女武侠伝 野良猫・オン・ザ・ラン』で明らかなので、あながち無理な連想とも思いませぬが。というか早見裕司の少女ヒーローものってまだ二つ目でしたっけ。
文章芸としてのラノベ、という点では、おそらくTVドラマかアニメのノベライズみたい、という程度の印象ですが、しかしこれは面白い。例えば、主人公が自分をあくまでメイドだと思っている点。要するに、「何の因果かマッポの手先」とか言わない。具体的にはこんな感じ。
「確かに私は、一介のメイド。出過ぎたまねをお許し下さい。ですが、汚れた家をお掃除するのは、メイドの仕事でございます。悪の汚れをすっかりお掃除するよう、わたくしは御主人様より言いつかって参りました」
「ご主人様? この家の主人は私だ!」
葵はゆっくり首を振った。
「メイドは、ふたりの主人に仕えず。わたくしの御主人様は、ただひとり──」
言いながら、襟のボタンを外して開き、前に突き出した。
「警察庁長官・海堂俊昭さまでございます!」
「そ、それは桜の代紋!」
したがってメイド刑事の行動原理は、正義の心と主への奉仕の両輪によって成り立つ。母親を人質にとられてたりしない。
私見ではこれは、早見裕司先生が、「メイド」という(他人からもらった)題材と、「燃え」という己の内なる欲求を、真面目に両方とも追求してしまった結果なのですが、おかげで面白いことになっています。
正統派メイドの講釈じみたものも作中に述べられますが、しかし全般として見るに、主人公の信ずるメイド道は明らかにメイドではありません。メイドは二君に仕えず。メイドは己を知る主のために死す。メイドの忠誠は主への服従にあらず、いかなる仕置きをも覚悟し己の意を通すこと。結局のところこの主人公は主の命令なんて聞きやしません。自分ルールでしか動かない。そのルールには「主への忠誠」や「メイドとしての誇り」が含まれているだけです。第三話で御主人様に「お仕置きはいかようにも」とか言いつつものすごく無茶な要求してるあたり、もう、ねえ。
そしてメイドは死を恐れず。「チャカにびびってちゃメイドは務まらないんだよ」。
私見ではこういうメイドが大量に存在すると、『死ぬことと見つけたり』の鍋島藩みたいなことになります。そのうち「御主人様に刃向かってお叱りを受けるのが何よりの幸せ」とか「文句があるならいかようにもお仕置きくださればよろしいのです」とか言い出す奴が出て来てもおかしくない*1。
作者やあるいは読者の望む望まざるにかかわらず、本邦のメイド受容史に、新たな何かをうっかり付加えてしまった感満載です。本邦のメイドブームはすでに多くの、新奇なまた珍奇なネタを提出してやみませんが、しかしネタをネタとしか思わぬうちには新たな進化はないのです。
本書の主人公はそういうメイドです。気をつけろ。