谷川流『ボクのセカイをまもるヒト』

 谷川流といえば妹であるわけですが、姉を描くとこうなるのか、という妙な納得感が。

 作中に溢れるわりに大して意味もなさげなメタフィクショナルな言辞は、なんだろ、つかこうへい? そのへん中島梓『文学の輪郭』からなんか引こうと思ったが本が埋もれている。
 かわりに次のような言葉を思い出した。

 ただ1つ言っておきたいのは、この作品に登場する哲学やら何やらには何の意味もないってこと。全ては煙幕であり、サイバーパンクの諸作品やあるいは平野啓一郎日蝕』と同じで、プレイヤーに眩暈感覚を呼び起こさせるための仕掛けに過ぎない。元長的には、この作品のジャンルを「フィロソフィ・パンク」と名づけているのだが、どうか?(http://web.archive.org/web/20020203014508/http://homepage1.nifty.com/stratosphere/13cm.html

 じゃあこれはメタフィクション・パンクつうことで。