神無月の巫女、「AICロボットアニメ」

 クリスマス・イヴである。イヴといえば『ヤミと帽子と本の旅人』である。イブだったかもしれない。そしてヤミ帽といえば百合であり百合といえば『神無月の巫女』だ。というわけで神無月の巫女(アニメ版)の話を書く。

 ネット上で感想を見て回ったのだが、「宮さま」といえば『おにいさまへ…』である、という認識がさほど広まっていないのが嘆かわしい。馬の名前がサンジュストであり、レーコさんのマンガは「涙がとまりません」と来るあたりは無論わかっててやっているのだろう。

 現時点で#11まで視聴済み。きゃー殺愛よ殺愛だわ、むしろホーリーランド。どんなに想っても、言葉で語っても、行為で示しても、相手が自分にとりあえず好意的でも、それだけではどうしようもないことがあってさ、うまくすれば拳で語り合うだけで何とかなるが、結局は世界の全てを滅ぼして殺し愛うしかない、というとこまで行く。しきりに思い出されるのは森恒ニ『ホーリーランド』で、つまり8巻でいうと、ショウゴ君が本気でド突き合いたいのに神代ユウがどうしてもその気になれなかったら、という展開を考えてしまうのだ。もちろん『ホーリーランド』では、拳で語り合う男の子たちは結局は二人だけの聖地に辿り着けるのだけれど。月まで行っても千歌音ちゃんの片想いでしかない、なんて。あと月が聖地で輪廻と来ると『風魔の小次郎』ですね、どうでもいいけど。

 AICロボットアニメ、という言い方は気にいってるんだけど、原理主義者としてはメカ周りに不満が尽きぬ。デザインにコンセプトがなく動きに重量感がなく見せ方に巨大感がない。イクサーロボVSディロスθ、あるいはゼオライマー#2あたりをうっかり期待すると肩透かしを食うか。あと伝奇というか設定はスーパーナチュラルなのにメカメカしいデザインしてると、どうも勇者シリーズGEAR戦士電童か、といった風情。オモチャ会社がスポンサーってわけじゃなかろうに、どうしてこういうことするかね。

 でもまあ#3〜#5のツバサ機はけっこうかっこよかった。たとえば#4のラスト、夕日をバックに腕を組んで降下する姿は失禁モノだ。そして#5。対峙する威容と威容。激突する巨大な刃金と刃金。対決は二度描かれるが、冒頭のそれが良い。ちゃんと重そうに動くし(ソウマ機にツバサ機が斬り付けている所とか)、駆けつける姫子の視点を交えて巨大感も出る。絵コンテは南康宏。あと、唐突に嫌な面を見せ付けます的な脚本とか、「同じ顔をした敵」(『竜世紀』)とかそのへん會川昇へのオマージュなのかしら。まあそれを言ったら「自分の友を自分の手で討つ」(『鋼の鬼』小説版)ってのもだけど。

 AICロボットアニメ、という時、だから個人的には、美少女わんさかとかそういうのに加えて、ネガティブな感情と救いのないシチュエーションで構築されたドラマへの欲望、もあるんじゃないかなとか思いましたことよ。「昏いロボットアニメ」みたいなことを誰かが言ってなかったかな、そういう系譜。あと介錯を男版CLAMPというなら、CLAMP原作で平野監督のレイアースに触れておくべきかも。そういえば『奇鋼仙女ロウラン』では平野俊貴から俊弘に戻ってたような気が。