アニプリ#5〜#10

 #5。メール話。けっこう観てて辛い。二回観れない。

 #6。劇。正直いって鑑賞に耐えるレベルにない。一回通して観るだけで多大な気力を費やした。
 それはそれとして、なんか千影には世話になりっぱなし。そのうち頭が上がらなくなる気がしてきた。がんばれ長門さん(違

 #7。シーツで花嫁。作画的に辛い面もあるのだが、繰り返し観ても問題ない。なんというか色々と正しい──女の子だけで盛り上がっちゃってしまうと男の子は途方に暮れる、とか──し、刺さるセリフにも事欠かない。いや刺さるっつってもアイスピックとかそういう話じゃなくて。
 ところで、航が自分の部屋で勉強していると、家のどこかできゃいきゃい騒いでいる妹たちの声がドアごしに聞こえるのが割と幸せ。対照的に、静かな台所がこれがまた見事に淋しくってさ。
 可憐と台所で会話するシーンが意味深でよろしい。あれは航に何か食べる物を用意してあげようと思ったけど機嫌を損ねてやめた、ということでよろしいのでしょうか。
 咲耶の積極性は、これまで家族として過すことのなかった、という欠乏を埋めるための過剰らしく、どうも四葉みたいな話である。「苦手なんだ、咲耶ちゃんのそういうとこ」「わかってる」。わかってはいるがそうせずにいられない。なぜならかれらには自然性がみうしなわれており、兄妹というものが絶えず意識的に実現せねばならぬように見えたからだ。僕はそこにあの「息苦しい努力」(柄谷行人マクベス論」)を見出さずにはいられない。そして意識的な「実現」ではなく、意識的行為に先行する実在として「発見」の対象になるとき、ぼくたちは四葉に出会うことになるだろう。だから、そこで四葉が真っ先に登場することに奇妙な納得を覚えた。
 「ずっと先の話だよ」が妙に刺さる。シーツをまとめて14枚買いに行って、「大家族なんだね」と言われるのが、きっと幸せ。
 
 #8。メガネ。あみやまさはるお得意の、ソツがなくて存在感もない話。よくこの話の存在自体を忘れる。鞠絵のせいではないと思うのだが。

 #9。夏。ショックだ! 妹たちは勝手に僕の部屋に入って風鈴を取り付けている! ……じゃなくて。風鈴の風情を解するとは、あんちゃんも随分と人間らしくなったものだねえ。とりあえず眞深の発案と見た。あんちゃんは何色でも気にしないと思うけどさー、とか言ってるこいつがいちばん妹くさいと思う。というか妹歴がちゃんとあるのはこいつぐらいか。あと、#2だったか、窓越しに買い物(シャーペンの芯)頼んだりとか、そういうのが好きです。もちろん衛も窓から呼びに来る。
 ともあれ、夏の陽射しの強さを意識した画面作りがお気に入りの一本。風鈴と潮騒の音、光と影のコントラスト、眩しい外からは窓越しに響く妹たちの声、陽光で影ができた部屋。そして夕映え。わりとダラダラと時間が過ぎてゆく感じもまたよし。こういうのはあんまり内容があっちゃいけません。
 それにしても、部屋の日陰に横たわる航の手のすぐ先に(もはやかけなくなったはずの)眼鏡があるのが、いやに意味深であるな。
 ラスト、航は決心をしてというよりは夕映えの赤さに誘われるように「水着を買いに行くのに付き合ってくれないか」(それは衛が航に以前言ったのと同じ言葉だ)と言う。「僕、泳げるようになりたいんだ」。それを聞いた衛の表情がいい。ちょっと呆然としたような、その言葉で兄が実は泳げないということを悟って、昼間の兄の態度やら自分たちのはしゃぎようやらを思い返して結構ショック受けてるような感じで。ええ子やなあ。
 鞠絵はさすがに昼間のうちに兄が泳げないことに気付いていて、その時の表情とだいたい似てるんだけど、今回は置く。
 #10。つづき。そういえば、泳ぎを教えてくれないか、とか、教えてあげる、とか、そうした会話は交わされず終いなのだが、いつのまにかそういうことになっている。航はもしかしたら(無謀にも)一人でなんとかするつもりだったのかもしれない。衛が当然のようにその気になっているのがよろしい。そう来なくては。
 とにかく、これでもかとばかりに繰り返される夕暮れのシーンがいい。夕暮れで、しかも帰り道である。一日が終わる。

 あにぃの部屋に勝手に入ってくるのがよいのです。もちろん鍵なんて付けないしノックもない。

 自分が泳げなかったときのことを思い出すあたり衛はいいやつである

 ラスト。「衛ちゃんが教えてくれたからだよ」「ううん、あにぃが教えてくれたから……」「え?」「泳げないってこと、ボクにだけ、教えてくれたから」。幸せすぎて死ねます。「水着を買うのを付き合ってくれない?」という言葉が交換されることによって幕を開け「教えてくれたから」という言葉の交換によって幕を閉じる。至福。
 「あにぃが教えてくれたから」ってのは勿論、衛のほうも不安だったわけね。
 航にとって自明でない程度には衛にとっても兄妹ってのは自明でない。自分にだけ教えてくれるってのは安心します。ようやく居場所を得たような感じで。我々はそこで、あの能天気げな彼女にしてずっとそういう屈託を抱え込んでたのか、と胸をつかれるわけです。我々?