アニプリ#1〜#4拾遺

 もう一度最初から。いや17話までもう観てるんですけどね、後半に入ると一気にモチベーション低下しちゃって。たぶん、(後半しばらくは消え去るところの)異和や戸惑いや屈託のほうが今の僕には好ましい。妹たちとの幸せな日常を送ることへの後ろめたさを消してくれるから。なんつってな。山田や眞深の存在も前半ではほどよい照れ隠しになる。眞深には早々に転向しちまうけどさ。咲耶は不馴れな長女役から解放され喜ばしい限りだがそのぶんいっそう苦手。
 とりあえずOP(DVD版なので#1からちゃんとしたやつになってます)。手がいい。可憐が両手を太陽に差し伸べ、そこにいくたりかの妹たちの手が和するあたりで、僕はもう感極まって泣くか笑うかしそうになる、そういう精神状態だったのが一昨日なの。もうこれだけで他は全て許せる

#1。どうしようもない僕に天使が降りてくる。世界が変わる。天上ウテナが姫宮アンシーの手により変身するように、可憐と咲耶がかれを変身させる。弟子がいるから師匠と呼べるので、お姫様(プリンセス)が王子様をつくりだすわけで、こういうことは一人ではできないのである。まあ実際のところ眼鏡(これは眞深か)と髪型と服装が変わるだけですが。しかし異界譚として見るならば、水鏡をくぐり抜けた先で着替えるのはまことに理に適っているのである(たとえば梨木香歩『裏庭』)。水に溺れるのが死と再生の儀式であると同時に、(水)鏡を通り抜ける、というモチーフでもある点(#15「亞里亞のおリボン」を想起せよ)に留意せよ。

 とまあ戯言はさておき。とにかく可憐とのダイアローグが良い。ええと、「変な顔してませんでしたか?」と「すごく、似合いますよ」のあたり。会話には省略はつきものだし、印象的な会話に適度の唐突さは不可欠だ。

#2。「おはようございます」と言われれば「おはようございます」と返し、「Mornin'」と挨拶されれば「Mornin'」と返す。雛子が通り過ぎたあとでもあいての目の高さにかがんで手を振っている。
 航はけっこう好みのタイプで、それというのも子供と話す時には必ず子供の目線で話すからなのだが、なんか主体性がないだけかも。
 どうでもいいが、航が一人で階上の探索に行く、というあたりで『嬌烙の館』(13cm)を思い出した。特定空間内における男女比の偏りは役割固定を招く。男であるというのがそれだけで危険を冒す理由になる。兄だの妹だのではまだない。
 水をこくこく飲む亞里亞萌え。

 #3。「雨、逃げ出した後」? 再三再四の視聴に耐える出来であり演出小道具ともに言うことなし。デジカメを通じてようやく妹の存在をきちんと意識できるとか(迂回的な接近はつねに演出として正しい、ついでに航の生活史を考えると実にありそうな話だ)水中メガネを外すタイミング、破られた表、「行き止まり」等々。悪く言えばアタマ良すぎる作り。技巧ないし作為性が前面に出ているが、おかげで「妹12人」という設定も浮いたものにならない。
 とりあえず冒頭、エスカレーターをゾロゾロついて来ているシーンがなんかすごい。

 #4。プリブラ第一部ラストみたいな感じですな。いやだからマイナーなものでよりメジャーなものを喩えるのってどうよ。「島から出て行けない」から「出て行かない」への転換。いい仕事してます。
 僕が奇妙に思うのは、航がしばしば「そうするいわれのないこと」とする点である。だいたい、小さい妹の面倒をみなきゃいけないどんな理由もない。花穂が騒いでようが雛子がどうなろうが本来なんの責もないのだし、島の脱出を断念してまで探しに行くこたあない。だが親密圏を構築するには(無償の)贈与的なふるまいの「最初の一撃」が要るので、かれは流されるままにそういうことやっちゃったんだけど、きっと気付いてないだろうなあ。「権利の獲得」という正義ではうまくいかない(#3の「お兄ちゃんと一緒」表を想起せよ)のです。なんつってな。ああ、もちろん贈与と来ればあとは交換ね。アニプリで面白いのは、というか好きなのは好意や行為の交換以前にまず言葉が交換されることで、#9,10あたりなんてとくにそう。何の話だっけ?
 ああ、贈与的なふるまいとか親密圏の構築とかいった語はここ(24日)から借りてきた。