http://app.memorize.ne.jp/d/57/36889/2004/04/0088
 私見では、野嵜氏の言は、自由主義「において」「の必然として」というよりは、自由主義の言説にとっては外部的な暗黙の前提として、キリスト教的な人格の平等がある、と読める。そして「キリスト教道徳」についていえば、野嵜氏が強調してきたのはむしろ「キリスト教的な思考形式による道徳の扱い」であって、キリスト教道徳そのものではないように思う。そして野嵜氏は、規制に賛成しているわけではなく、「反対派」の言説を批判しているにすぎないので、野嵜氏が規制論を唱えているなどと仮定せず、たんにその批判が不正確(的外れ)ないし不当であることを示せばよい。既にやっているのかもしれませんが。