猫の地球儀

 たび たび持ち出される稲葉振一郎傲慢の「罪」をこえるもの』だが、もうひとつどういう意図で持ち出されているのか分らない。何が言いたいのだろう? プルートゥ=幽でウラン=楽か。でアトム=焔? ああ、焔は「夢」なんてほざいてるヒマがあったら大集会をぶっ潰すべきだったのだ、とか。しかし、楽の死により幽を善導したり改心させたりするようなモチーフが秋山瑞人にあったとでも言うのだろうか? べつに地球儀へ行くことが否定的に描かれているわけではないはずだが。ぶっちゃけ楽が死んだのは単に悲惨で理不尽であるだけの話で、「算術」がある気はしない。むしろ宮崎駿による手塚治虫の「神の手」批判のほうがまだしも近い気がする(こちらの12月31日を参考)。

 それとも、こういう話なのかねえ。ならせいぜい悪趣味だと言っておけば済む話である気もするが。


 あと、マンガではサルタンと表記されてるのでそっちを尊重すべきじゃないかな。スルタンって書きたい気持はわからなくもないけど。プルートウであってプルートゥではないのですとか。