たとえば、ルート間の設定の整合性、という問題について『痕』を持ち出すのは、かえって話がややこしくなる。俺がややこしくしてるだけかもしれませんが。
 ともあれ、重要と思われる指摘(僕に理解できる範囲での)を拾っておく。

すなわち「痕」は実はそれ自体はほとんど一本道の作品であって、クリアしたときはじめて「全体で大きな物語を語る分岐ノベルという表現方式」という大いなる幻想が出現した(ように見えた)と言えるのではないでしょうか。


前回、痕について書いたのは、「痕」の「世界観のまとまりと広がりを感じさせるプレイ感覚」は「ヒロインごとに大きく分岐し別の物語を語る、マルチヒロイン・マルチシナリオ方式のギャルゲーという構造」から由来するのではなく、ただ「繰り返しプレイすることで先が開けていく仕組み」に拠っているということを言いたかった。

 『痕』は、実質的にほぼ一本道のプレイが要求される。梓ルートでの疑問を柳川ルートで回収することは起こっても、柳川ルートでは不分明な点を梓ルートで補完する、ということは起こりえない。「ルート間(横の絡み)」という発想がそこで成り立つかどうかは疑問。ルート間で設定の齟齬を生じさせないというより、ようするに先に伏線を張っておいて後で回収している、と表現した方が適切に思える。単に一本道の語りの内部で整合性を保っているにすぎないといえるだろう。だから、当初からどのヒロインも攻略できる(そして「一人だけクリアして終わらせても作品の解釈には決定的な変化を及ぼ」さない)ようなギャルゲー作品の「ルート間の整合性」といった問題に『痕』を持ち出すのは見当違いの感を免れない。極論すれば、『痕』で「××ルート」といった場合は、実質一本道のシナリオの途中の一部分を便宜的にそう呼ぶにすぎないので、たとえば『Kanon』のそれとは「ルート」の意味が違う。

 世界観。ほぼ一本道を辿り、順番通りにどんでん返しを見せられることによって得られる『痕』の世界観=事件の全体像。この「見えてくる」ことの面白さは、(おおむね似通ったパターンでくり返される)全ヒロインのシナリオを順番を問わずクリアして、しかるのちにそれらの情報を統合する、といったものではないことに注意。