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 「多世界解釈」とか「同一世界解釈」という言葉の意味がまるでわからなくて困ってます。主人公の選択により変わる部分があるなら、そのヴァリエーションの数だけ違った世界があるってことになるはずじゃん。家を出るときに右足から踏み出すか左足から踏み出すかで既に二通りの世界が存在する、というのが僕の感覚です。魔界水滸伝のどっかでやってたパラレルワールド解釈をおそらく引きずっていますが。
 ともあれ、「不変にして同一の背景世界」が一方であり、しかし「主人公の行為の及ぶ範囲だけが変化する」(しかし世界は不変である)、という理屈がまるでわからなくて往生してます。どんな微細な変化でも、変化したならばそれは既に変化しなかった場合とはまるごと別の世界へと分岐してしまったことになるんじゃないの? うまくいえんけど。

 つまり、同一性というのを、いかなる微細な差異も許さないレベルでとってしまえば、世界が分岐する以上は、多世界解釈は必然である。分岐したならば同一の世界とはいえない。逆にいえば、分岐しうるがまだ分岐していないうちは同一世界と呼んでもかまわない。ともあれ、ある時点である事態が成立した場合と、しなかった場合は、すでに同一の世界とは呼びがたい、前述の前提に従えばだが。

 印象論というか要は岩波文庫の『論理哲学論考』の野矢茂樹による解説を読んだアタマで言うんだけど、どうも滅・こぉる氏あたりは「世界」を、「起こり得ることの総体」(実際に何が起こりまた起こらなかったは問題ではなく)と考えているらしく思えるのですが、思えるというだけですが、しかし相互に矛盾した事態(ある女の子が不幸になったりならなかったりする)は同時には同一世界内では起こりえないと思うので、それを同一世界解釈と呼ぶのは、僕にはためらわれるところです。

 「キャラクターと設定が同じだけの物語が数本並んでいるだけで、たまたまその途中までが同じなだけ」なら、たんに類似しているだけで同一ではない。
 「むしろほとんどの要素を共有した「近似的な世界」が平行して存在する可能性があり、プレイヤーはいくつかの選択肢のなかからひ とつを選ぶことによってその世界が現実になっていく、というイメージがわかりやすいだろう。ここでそれぞれの世界はヒロインの 悲劇的な設定だけはなしで、ほかの要素は共通しているのだ」というよりは、単にわれわれの目に映る部分だけが見分けがつかないほど似ている(共通していると言っても実質的には同じことですが)ので、あとの部分はどうなのかは判定のしようがない。「悲劇的な設定だけ」を特権的に言い立てるのはわからん話です。