http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20040130#p2

 「世界は残酷で、彼らには精一杯のこれが小さな「善行」「幸せ」なんだよ」などという読みは決してドミナントなものではない気がする(僕の知る限りでは、むしろドミナントな読み方へのカウンターとして出てきた)し、でなくとも作品の描写が必然的に帰結するような読みではない。ガジェットは露悪的なまでに悪趣味だし、何しろ「洗脳による好意/恋愛感情」だ。萌えるにしろ感情移入して感動するにしろ、読者はそれが悪い/間違った/にせものである、という認識を回避できない。よほど感受性が鈍い場合は別として、萌えてしまったが最後、うっかり感じ入ってしまったが最後、読者の感性や倫理観の問題へと移行してしまうのではないか。少なくとも、そうした道筋を用意するような要素が、作品の側にゼロとはいえまいに。

 悲惨な世界を恣意的に生み出しておいて 読み手の倫理を問う邪悪な意図を読み取ることもまた、読み手に可能な選択の範囲です。それが支配的であるべきだとは言いませんが。