『魔風海峡』を読み返しなどしているのですが、荒山先生のあまりのフリーダムっぷりに呆れるばかりです。思うに涼宮ハルヒに朝鮮知識を吹き込んだら書きそうな小説です。それも『溜息』時の。あと「もちろん」とか「当然」の使い方が凄い。「といわれている」「と呼ばれる」も。霊統て。もはや根も葉もない大嘘を語るときの常套句と化している。
 というわけで、以下は今日の荒山脳だかハルヒ脳。思いついちゃったんだから仕方ないじゃない。正直もう少しなんとかなりそうな気がしてならないのですが。むしろ「ただの柳生には興味ありません」で柳生尽くしとか、と思いついたことは思いついたんだけど私には無理でした。
 なお以下は、荒山徹の既刊の帯文や裏表紙のあらすじ程度のネタバレを含んでいます。あれも結構致命的なネタバレだったりするので困るんですが。
 
 
 
 「柳生十兵衛二人説をいつまで信じていたかなんてことは他愛もない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも俺がいつまでノッカラなんとかという人間の魂を入れ替える秘術の存在を信じていたかというと、これは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。ソウル在住の考証史家黄算哲は民明書房だと理解していたし、柳生家の家譜を実際に見たわけでもないのに十兵衛の姉の存在を疑っていた賢しい俺なのだが、はてさて、忍者や朝鮮妖術師や朝鮮柳生や妖怪や恨の力や征東行中書省やそれらと戦う柳生的剣豪的伝奇的ヒーローたちがこの世に存在しないのだと気付いたのは相当後になってからだった。いや、本当は気付いていたのだろう。ただ気付きたくなかっただけなのだ。俺は心の底から柳生剣士や陰陽師式神や朝鮮妖術師や黒宗矩が目の前にふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ。しかし、現実ってのは以外と厳しい。陰陽師式神を使わないことに感心しつつ、いつしか俺はNHK大河ドラマや「その時、歴史が動いた」をそう熱心に見なくなっていた。裏柳生? 朝鮮通信使? 果心居士? そんなのいる訳ねえ。でも、ちょっといて欲しいみたいな、最大公約数的なことを考えるくらいにまで俺も成長したのさ。中学を卒業する頃には俺はもうそんなガキな夢を見ることからも卒業して、江戸時代の普通さにも慣れていた。俺は大した感慨もなく司馬史観を受け入れ、そいつと、出会った。
陰陽師、柳生友景。暦の勉強をしていた時に、柳生一族の血をひきながら、陰陽師をしていた人物がみつかったのです」
 これ、笑うとこ? というか誰それ? えらい美形がそこにいた。誰もが伝奇病だと思っただろう。結論から言うと、そいつは稀代の剣豪でも霊能力者でもあった。荒山徹はいつもタチが悪い。こうして新陰流と陰陽道は出会っちまった。しみじみと思う。それ幸徳井友景だろ、と。」