伝奇としての『煙草と悪魔』

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 芥川の『煙草と悪魔』が伝奇的にも素敵である、というか伝奇病の香りがする、という話を聞いて再読。ちなみに、つい最近「視点と人称」という話をする時に持ち出そうとしてやめた、のでその時に読み返していたりしたのですが、伝奇云々は思いもよらなかった。ありがとうインターネッツ
 ちなみにメインエピソードはそれぞれシークエンスごとに、「三人称・悪魔(伊留満)の視点」「三人称・神の視点」「三人称・牛商人の視点」ですね。視点の切り替え・使い分けが見事、というのも失礼だわね、仮にも芥川に向かって。
 それはそうと芥川先生、《松永弾正を飜弄した例の果心居士と云ふ男は、この悪魔だと云ふ説もあるが、これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから、ここには、御免を蒙る事にしよう。》などと書いてますが、もちろんヘルン先生はそんな説述べてないだろう、ということが調べるまでもなく確信できます。『果心居士のはなし』読んでも「実は悪魔」なんて、書いてあるはずないじゃありませんか。このテの嘘を平然とつくあたりが伝奇。というか無意味に果心居士とか言い出すあたりが素敵です。
 ただ、芥川先生はこの後『神神の微笑』において「日本では神も悪魔もヘタレになっちまうんだよ!」とブチ切れてしまわれたので、悪魔のその後の活躍はついに描かれることはありませんでした。本篇においても、梵鐘の音色につい和んでしまいそうになる悪魔の姿が描かれますが、結局はそちらの方向性がまさったのでしょう*1
 なお、果心居士についていえば、朝鮮出兵において秀吉軍をさんざん翻弄した松雲大師なる朝鮮妖術師の正体が果心居士であった*2のは既に常識ですが、この朝鮮出兵がかなりの部分において妖術戦であったことは、芥川先生が書いている*3から、ここでは御免を蒙る事にします。なにやらふしぎな縁を感じますね。
 
 あと、言われてみれば、なんでペンタグラムなのか。このあたり適当に読み流していた過去の自分を猛省したい。
 確かにキリスト教圏の魔術において五芒星はポピュラーなアイテムであり、一説には白魔術による祓魔には正五芒星が用いられ、他方で逆五芒星は悪魔の印であるとも聞きますが、しかし普通に考えれば教会的にはどっちも、なんかあやしげなもの、であろうし。いや知らないけど。
 ただ十字架より五芒星は遥かに伝奇的な喚起力という意味で普遍的であるのは確かで、やはり芥川先生も不自然は承知で「そっちの方が面白いじゃん」と採用してしまわれたのでしょうか。
 あと「神聖なペンタグラマで」って。読みようによっては特別なペンタグラマっぽいし。ムナールの灰白石でも使ってたりするんですかね。かの伊留満の肌は南方の航行・滞在を経たせいか、ほとんど漆黒に日に焼けていたという。よもや日本に煙草を伝えたのはあの■■寄■■沌
 といった与太はともかく、悪魔もまた主の被造物なので、エクソシストは悪魔を「追い払う」以上のことはしないそうです。殺したり滅したりはご法度。と『不死者あぎと』というマンガに書いてありました。
 でもザビエルは怪しいと思う。むしろ、あっさり追い払ってるあたりが。というか、《ドクトル・フアウストを尋ねる時には、赤い外套を着た立派な騎士に化ける位な先生》って、どんな大物だよ。

*1:真に受けないように

*2:荒山徹『十兵衛両断』

*3:金将軍』、http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card78.html