Sister Princess #1〜#3

 いまの気分としては、妹たちにはまったく心惹かれないしそもそもアニメ観るのも億劫なのだが、そういう時に観た方がよくわかる気がしたわけな。海神航にしたところで、妹の存在など慮外であり論外である、そういう状態から始めたはずだ。
 入試に落ち家から追い出され謎の黒服に連れ去られ、身も知らぬ異郷に放り出される、という導入は嫌いじゃない。あとは一度溺れ死んでおけば最初の儀礼は完了、ここは既に冥界にして楽園にして決戦場にして裏庭にして鳳学園、死と再生の儀式の場、ふたたびこの世に生まれ出るための異界だ。今まで着ていた服と眼鏡とが捨て去られるのはまことに象徴的であるな。時計は新しいものを。異なった外見と視界と時間の獲得。そして開園前のテーマパークとは未だ地上に生命を得ていない場所だ。それも期間限定で。
 或いはサナトリウム。である以上は最優先課題は社会復帰であり具体的にはリハビリであって、安息と休養のための場であるとのみ考えるべきでない。じじつ航は、それこそヤマアラシのジレンマみたいな対人距離やら共同生活やらの難しさやら現実やらを学ぶことになる。現実? たとえば『11人いる!』の教官は「宇宙ではどんな理不尽なことも起きるし、それはいわば未知の11人目がつねに存在するようなものだ」という主旨のことを述べるが、そういう意味では宇宙と呼ぼうが現実と呼ぼうが似たようなものだ(#2「答があるっていいよなあ」)。たぶんかれ海神航にとっては13人の妹とはそのような現実であったに違いない。

《こんな身もふたもない話はありえない。だが、ありうるし事実これに似たようなことがあったような気がする。私はそれを具体的に思い出すことができない。しかし、「現実」とは何かといえば、おそらくこういう姿であらわれるはずだという気がする。それは決して真剣なのではなく、どこか、破目のはずれたアンリアルな出来事である。》(柄谷行人『反文学論』)

 むろん突然十人以上の妹が現れ彼女らとうまくやってゆかねばならぬ、というような事態はありえない。宇宙船に予定より一人多い乗組員が存在する、ということが実際にはありえないように。だが、たしかにそんなことはあったような気がまたはありそうな気はする。そして航が置かれた状況が実はやはり現実への適応のための学習の場として用意されている気はどうしてもする。実は教官がこっそりサポートしていた、という程度には仕組まれてもいれば難易度も下げてあるだろう。あと亞里亞がずいぶんとちっちゃいのでびっくりした。雛子とそう変わらないのか。四葉がどうにも可愛いので持って帰りたい。それと咲耶は色ボケ小娘のようなイメージがあったんですがちゃんとお姉さんでした。いい奴だ。むしろ可憐が。
 とりあえず初期の印象は『少女革命ウテナ』か『嬌烙の館』あたり。不自然がメタに行き着くかどうかが今後の分かれ目か。