俺も秋山瑞人の悪口なら一晩くらいは言える。内省が不足してて他者性欠けてるのが嫌とか。しかもそういうキャラであることを必然化してみせる手つきはこの際口を極めて悪罵されてしかるべきだろう。また読者を傍観者のイノセントな感傷に閉じ込める手口も、過去を現在を説明するためだけに招来する態度も、世界との見せかけの距離をつくりだし和解に導くからくり(思うに欺瞞的な二項対立なのではなく、対立を夢の解釈論でロマンティックに解消してみせるのが欺瞞的なのだ。ところで、キャラクターの個別的な事情をほとんど一言で片付け作品を二項対立図式に解消してみせるような書評の手つきはやはり邪悪でないとは言い難い)も。あれだ、サムンバが嵐呼ばないのが悪い。ところで、このへんの悪口のいくらかは保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』の引き写しです。片山恭一浅田次郎ノルウェイの森から正しい小説性を守るために書かれた本と思しいのですが。秋山瑞人浅田次郎は似ているかもしれない。

 ただ、上のような悪口は仮に間違っていないにしろ不充分であるのは確かだ。

 そもそも幽がスカイウォーカーという稼業を選んだについちゃあ、 円が殺されたからとか影踏丸の話が好きだったからとか偶然にも才能を持って生れたからとか、作品内に挙げられるのはその程度でしかなく、そのどれにも全部足したものにも解消しきれない何かがある。そして過去はいくら語られたとて、地球儀へ行くのを延ばし延ばしにしている幽のためらいを説明しない。かといって、友達が欲しかったんだ、なんて幽の言い草を額面通りに受け取ることはできない。「ぼくの胸の中には夢とロマンがあふれてるから」とか「ロケット作って地球儀に行きたいだけ」なんてのが言葉通りに受け取れない程度に。自分の中にあるお話とは因果じゃなくて、 今この瞬間の自分と共に生まれて来るものだけれど、誰かに語ったら最後、因果として解釈されるしかない語り得ぬ世界だ、という程度の理解は最低限されてよいところではなかろうか。