http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20040218#p1
 「難病もののヴァリエーション」なんてそんな。斎藤環が『最終兵器彼女』について言ったみたいなことを。どこで言ってたんだっけ?

 難病もののヒロインなら、もし仮に病気が治ったとしても別に彼女が彼女でなくなるわけじゃない。けれどたとえば『猫』についていえば、それ以外の可能性など、『幽が幽で無く、焔が焔でなかったら』というありえない仮定に等しい。そこが区別されるべき点だ。《離婚についての法律がゆるやかになっても、アガメムノンの運命は変わらないし、社会的精神医学はオイディプスの問題を解決してはくれない。しかし、経済関係がもっと正常になったり、鉛管工事が改良されたりしたら、イプセンの劇に現れる重大な危機のいくつかは、たしかに解決できる。この区別はよく心に留めておかなくてはならない。》(ジョージ・スタイナー『悲劇の死』、ちくま学芸文庫、23頁)が、《よいか、いつの時代でもそうだが、世の中には二種類の猫しかおらん。/不可能なことには興味のないやつと、不可能なことにしか興味のないやつじゃ。》……って思いっきり既出じゃん。

 ところで、「一ヶ月あるんだったら女の子の病気治すことに全力を注ぐ」って聞くと『塩の街』を思い出して仕方がないわけですが。