さてd:id:imaki:20060510:p3については、そもそもが内田樹『先生はえらい』が元ネタであるので、実をいえばまったくツンデレに話を限定できるものではない。内田樹は「師弟と恋愛について同時にいえること」について述べていて、それをさらに敷衍した。ので「ツンデレとは」という問いの立て方は適切とはいえない。
 書きながら、これがツンデレだってんならキョンにとっての長門ツンデレだよなあ、と思っていた。むしろどう見てもツンデレですか。あと某所でハルヒツンデレ呼ばわりされていたのでちょっと驚いた。キョンとは普通に仲がよいだけに見えますが、クラスメイトの証言も然りで。キョンツンデレってのはわかるんだけど。

 内田樹に倣ってもうひとつ書いておけば、『先生はえらい』という本の冒頭に置かれた宣言はむしろタイトルとは逆の《「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」》だ。例えば『こころ』の「先生」は、彼自身の属性としてはまったく先生でも何でもない(社会的には無職だし人格的にも到底)にもかかわらず、「私」は「先生」として慕う。
 キャラクターに「ツンデレ」という属性があらかじめ備わっているわけではなく、あなたがそのように萌えた相手、それがあなたのツンデレである。他の人にはあなたの「ツンデレ」は、ただのワガママなガキ*1でしかないかもしれないし、むさ苦しいおっさん*2でしかないかもしれないし、何やら不良じみた少年*3でしかないかもしれない。しかしその相手が、あなたには紛れもなく、魅惑的なツンと深遠なるデレを備えた相手に見えたわけだ。そこにはあなたの人格特性や好みや偏見が深く関与している。各人の人格特性や好みや偏見の数*4だけツンデレは存在可能である。ツンデレキャラの範疇が無際限に拡張可能*5である理由もそのあたりにある。

*1:逢坂大河とか

*2:海原雄山とか

*3:柔沢ジュウとか

*4:意外と少なかったりしますが

*5:それこそ『山月記』の李徴とか

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060511#1147365134

 いやそんなイデアルな話をされましても。ツンデレとしてカテゴライズされている時点でもう公衆便所やないですか。

 ああ、うん、「私だけが知っている」という話型をとる公衆便所の話、ってことで。公衆便所という表現をとるとうすれば。メタレヴェルにおいては彼女がツンデレであることは受け手の誰もが知っている(かもしれない。実際には、あるキャラが「ツンデレである/ない」で意見がくいちがうことは腐るほどある)が、作品内の物語にはツンデレなる概念はまずもって存在しないし、そこへの感情移入もそれに準ずる。「私だけが知っている」というシチュにどきどきする。たぶん解離的。
 そうですね。確かにイデアル。どうもキャラがツンデレとしてカテゴライズされる事態を扱えない。