柴村仁『わが家のお稲荷さま。』(5)

 昇はそろそろ自分が三槌の当主だということを忘れていて(まあ最近知ったばかりだけどそもそも)、つまりそれはクーがなんでここにいるのか、ということも忘れているということになるわけで、それで昇はクーに謝るんだけど、狐のほうはけっこう愉快そうにしている。忘れ去られることは実はけっこう気持がいいのかもしれない。

 えーと。一波乱はあるんだけど、過去の因縁や外部の襲来に起因するでもなく、日常を構成するちょっとした事件、ってやつです。小粒感は否めませんが、別に大したことが起きなくてもいいと思う。
 起こるべき事は全て既に終わっていて、その事だけが確認される、というのはもっとも気に入っている『狐。』評のひとつなのですが、その言い方を借りれば、語られるほどのことは特になく、、妖怪がらみの騒動もいちいち語るほどでもないような日々の一齣に収まるので、惚れた腫れたの騒動のがよほど重要である。でないといいかげん佐倉っちが不憫ですし。
 そういう基本ラインは支持。ただもうちょっと無駄な描写が欲しい。そんなとこ。

谷川流『電撃!! イージス5 Act.II』

 あろえ派なのでちょっと泣。あろえ的には、ひーくんならお兄さんで欲しい、ということなのでまあいいです。というか、お兄ちゃんで欲しいんだよ、という言い方が好き。あと「猫をどうにかする仕事がいいですわ」とかも。どうにか?
 特に語られるべき作品ではないけれど、いい意味で余技的な軽さがこれはこれで好き。あとまあ、『学校』にしろ『ハルヒ』にしろ、世界の秘密や命運がガキ共にばかりのしかかっているようで良くも悪くも重いのだけれど、これは爺さんが元凶だってことがはっきりしていて、ギリギリのところではちゃんと面倒を見てくれたりするので、重くなりすぎなくていい。

電撃hp Volume.38

うえお久光ラブレターズ
 微妙に太宰治ライクな饒舌体がとりあえず読ませる。内容はあえて言えばツンデレ幼馴染によるモノローグで、そして「デレ」とは往々にして、モノローグにおける内面の語りにさえ登場しない、決して自らおのれを語ることのない属性だ。ツンデレ語ることができるか。それは読者によって代弁されるのである。というのはまあ戯言ですが。
 でトリッキーなキャラと行動、『ブラウン神父』リスペクト(ってほどでもないけど)の逆説、と一筋縄で行かないあたりがまあうえお久光なのですが、というかこの作家変だよ。なんで恋愛オンリーの話でそうなるのだ。あと蛇足ながら、あらかじめ「この事件で私は傍観者だった」と断っておくのも巧い。
 短篇集出さないかな。

古橋秀之「守ってくれる? アダムスキー
 ネタバレします。

 叙述トリックです。比喩か婉曲表現かと思えば文字通りの意味だったり、通念通りの形容かと思ったら違ったり、という引っくり返し方がうまい。