アニプリ#15〜ラスト

 #15。亞里亞のおリボン。といっても髪につけるやつじゃなくて、たまたまケーキかなんかの箱の包みのリボンを兄やからもらったのでそれが宝物に、というわかってる作りである。でもセンチメンタルジャーニーかと思った。具体的には青野武がラムネ瓶やってたやつ。仙台だっけ?
 こう言うと語弊があるが、僕には亞里亞はアニメ版のほうが本物に見える。思うに公野櫻子版は饒舌にすぎる。というか言語化しすぎる。亞里亞という子は、さまで行住坐臥意識化し言語化しながら暮らしてはおるまいと思う。むしろゲーム版のメールの脈絡の無さのほうがありそうな感じですか。
 #16。久しぶりに妹がゾロゾロと出てくる感じで若干前半みたいなノリ。咲耶のキャラも前半のそれに戻ってるような。ワイワイと楽しゅうございました。
 #17。普通の萌え系でいい話。不満はないが、別にアニプリでやんなくても、と思わなくもない。でも春歌に洋装させたのは誉めていいと思います。
 卵も割れない亞里亞萌え。
 #18。特にフック無し。まあ、千影は充分に幸せに見えるのですよ。
 #19。普通。決して悪くはないのだが、無数のレシピと技法を抱え皆の空腹を払う白雪にはつねに驚異と敬意で考えざるをえない当方といたしましては、やはり彼女の日頃の業績を称えるにはこの程度では足りないと思うのです。
 #20。亞里亞が中の人の声で歌いだしたあたりで冷めた。脚本もなんか驚くほど波長が合わない。なぜだ。
 #21。後半になってからようやく当たりを引いた感じ。と感じるのは僕が、#7の「ずっと先の話だよ」や#10の「この夏がいつまでも続けばいいのに」といった、この共同生活の終わりを予感させる言葉に、あるいはいわば期間限定の楽園、といったモチーフに着目してしまうせいだろう。もっとも明確に「終わり」が意識され言語化されたのは恐らく今回が初めてで、むろん鈴凛というキャラクターがそうさせるのだ。彼女は外界に目を向けて、この時間に終わりが来ることを認識しているから。ちゃんと、兄とは独立した自分の世界を持っている。いや、楽園はいつか失われる悲しい場所だ、とか、楽園はそうと認識されていてはいけない、なんて女々しい話はしないよ鈴凛に失礼だからね。凛の一字は伊達じゃなかろう。
 およそ五年ぶりぐらいに伸たまき『パーム7 スタンダード・デイタイム SIDE-2』(新書館)の一節を思い出した。《遠い過去と未来が/密やかに手を取り合う/いく度もいく度も繰り返された光景/常に存在する結末/それは変えることのできない約束だ/いつの日か必ず別れはやってくるだろう》。しかしカーターは言う。《「だが 今はその中間だ」》。ジェームスは答える《「――そうだな 中間だ 気楽に行こう」》。もちろん、この時の航にはまだ、そこまでは言えないのだが──いや、なんというか、僕の言うべきことは残ってない気がするのでね。鈴凛は普通にいいやつで、誰もがそうであるように複雑で、真面目で、ちゃんとした人で、でもやっぱり誰かを必要としている、とか、まあそれだけの話。
 #22。ええと、ミナァーカミワタァール君はもっと四葉を大事にしてやんなきゃだめです。好き、ぐらい毎日言ってやんな。という話だよね?
 あとね、航は四葉が「変なこと」(美少女怪盗クローバーに変装したり)をしても叱らないのですよ。でも、嘘をついてごまかしたりするのは叱るのですよ。これは凄く正しい。きっとイギリスでは「変なこと」の方ばかり叱られてきた子だと思うので──なんて考えちまうのはうっかり『ビッグベンの下で』を読んでしまってたせいなんだけどさ。もちろんここでは四葉は単にバカでかわいいので、つまり四葉はあれでふつうなんですが。ここではみんなふつうにやっていける。あと、何年ぶりかで読み返してみたら、『スタンダード・デイタイム』が(というか『パーム』が)だいたいそんな話であったのでちょっとびっくりした。あんたたちのどこがふつうなんだ、と言われて、一緒に暮すまではみんなふつうじゃなかったけど、ここではふつうにやってる、とアフリカ帰りのアンディ君は言うわけです。うまく言えんが長年の病が治ったような感じだ、とこっちは『星の歴史』のカーターさん。
 まあこういうのは観てる方の勝手な投影で、『ビッグベンの下で』とか思い出さなきゃ、単に四葉がかわいい、で済むんだけどさ。とりあえず、転んで助け起こして一礼して何事もなかったように追いかけっこを再開、というのが実によろしい。うまいよなあ。
 #23〜最終話。もういちど海に落っこちるのが気が利いている。これでやっと、帰ってきた気がするから。少しは情けない気分を味わっておかないと、どうも実感が湧かないというものだ。野暮な解釈は要るまい。
 いつかは終わると決まっているが、まだその時ではない。つまりはただ、それだけのことでございますよ。
 それはそうと『スタンダード・デイタイム』SIDE1冒頭のエピグラフ大岡信「若いひとに」なのですが()、そこで「兄いもうと」なんて語に出会うと、ちょっと複雑な気分になりますね。何かに見透かされているような。まあそういうのは嫌いじゃないけどさ。む、いま兄チャマは四葉のことを推理したデスね?